公開 2026年8月17日/更新 2026年8月18日
ロズウェル事件
1947年、米軍が一度は発表した——「空飛ぶ円盤を回収した」。
1947年6月4日、ニューメキシコ州アラモゴード陸軍飛行場。 一列の気球が空へ放たれた。全長はおよそ180メートル。20個以上の気球と、レーダーで追うための反射板を数珠つなぎにした、異様な形の飛行体である。 これは「モーグル計画」という極秘の軍事計画の装置だった。目的は、高高度に上げた音響センサーで、ソ連が核実験を行った際の低周波音を遠くから捉えること。冷戦が始まったばかりの時期である。 この4号機は、追跡装置が故障して行方が分からなくなった。 6月14日ごろ。ロズウェル近郊で牧場を営むマック・ブレイゼルが、自分の土地に散らばる奇妙な残骸を見つける。 アルミ箔のような素材。軽い木の棒。ゴム片。テープ。見たことのない物ばかりだった。 後年の語りでは、この残骸は驚くべき性質を持つとされる。丸めても皺が残らずに元に戻る金属箔。どれだけ叩いても傷がつかない素材。棒には見たこともない記号が刻まれていた——。 ただし1947年当時の新聞に載った描写は、もっと素朴である。ゴムの切れ端、錫箔、荒い紙、そして棒。牧場主は、集めた残骸をひとまとめにして車に積んだと語っている。 そのわずか十日後、6月24日。実業家ケネス・アーノルドが飛行中に奇妙な物体の編隊を目撃したと語り、報道は「空飛ぶ円盤」という言葉を生む。全米が、空を見上げ始めた時期だった。 ブレイゼルが保安官に届け出て、話は地元のロズウェル陸軍飛行場へ伝わる。 そして7月8日、飛行場は驚くべき発表を行った。 ——当飛行場は、空飛ぶ円盤を回収した。 公式の広報である。新聞の一面を飾り、世界に打電された。 いま読むと不思議に思えるが、当時この発表は、そこまで突飛ではなかった。数週間前から全米で「空飛ぶ円盤」の目撃が相次いでおり、新聞は連日それを報じていた。円盤が実在するかどうかは未解決の話題であり、軍の飛行場が一つ拾ったと言っても、時流の中では通る話だったのである。 発表を出した広報担当者が、上司の許可をどこまで取っていたのかは、いまも議論が分かれている。 ところが翌7月9日、上層部があっさりと訂正する。あれは気象観測気球だった、と。フォートワースの飛行場で記者を集め、残骸を並べて写真撮影までさせた。担当したジェシー・マーセル少佐が、床に広げた箔と棒材のそばにしゃがんでいる写真は、いまも残っている。 事件はそこで終わった。以後30年以上、ほとんど誰も話題にしなかった。 再燃したのは1970年代後半である。 退役していたマーセルがテレビで語った。あれは気象気球ではなかった。自分は口止めされていた——。 1980年、この証言をもとにした本が出版される。著者のひとりは、あのバミューダ・トライアングルのベストセラーを書いた人物だった。 1970年代後半から80年代にかけては、こうした本がよく売れた時代でもある。三角海域、古代の宇宙飛行士、超能力、心霊写真。書き手も出版社も重なり、互いを引用し合いながら、ひとつの巨大な「謎の世界」が形づくられていった。ロズウェルは、その中心に置かれるにふさわしい素材だった。以後、宇宙人の遺体を見た、機密の解剖が行われた、という証言者が次々に現れる。ロズウェルはUFO伝説の聖地になった。 決着に向けて動いたのは、意外にも議会だった。 1994年1月、下院議員スティーヴン・シフが会計検査院に、ロズウェル関連の政府文書をすべて洗い出すよう要請する。これを受けて空軍が自ら再調査を行い、約300ページの報告書を公表した。 結論は、モーグル計画である。 人事記録、気球の放球記録、当時の気象データを突き合わせ、残骸は6月4日に放たれた4号機のものと特定された。牧場からの距離も漂流経路も矛盾しない。当時アルミ箔もバルサ材もゴムもテープも、まさに気球列の構成材だった。 では、なぜ「気象観測気球」と偽ったのか。報告書はこう述べている。モーグル計画から注意をそらす意図があったか、あるいは気球そのものが気象観測用と同じ資材で作られていたため、担当官が本当にそう認識したか——そのどちらかだろう、と。 1997年には第二の報告書が出た。宇宙人の遺体の目撃談は、別の時期に行われた軍の落下試験で使われた人形や、事故の記憶が混ざったものだろう、という内容である。 マーセルとともに現場へ行った将校は、この調査のために宣誓供述をしている。当時も今も、あれは墜落した気球の残骸だと考えている、と。 それを信じるかどうかは、今もあなた次第だ。
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