不思議帖

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タイムリープ不思議帖

公開 2026年8月17日/更新 2026年8月18日

ヴェルサイユのタイムスリップ

1901年、宮殿の庭を散策していた2人の女性は、120年前の世界に迷い込んだ。

怖さ

1901年8月10日、土曜日の午後。パリ郊外、ヴェルサイユ宮殿。 イギリスから旅行に来ていた2人の女性が、宮殿の内部を見終えて庭に出た。シャーロット・アン・モーバリーと、エレノア・ジュールダン。 モーバリーは主教の娘で、オックスフォードのセント・ヒューズ・カレッジの初代学寮長。ジュールダンは牧師の娘で、ロンドン近郊で女学校を営んでいた。モーバリーはジュールダンを副学寮長に迎えようと考えており、この夏の旅は、互いの人柄を見きわめる意味も兼ねていた。つまり2人は、その日まだ、そこまで打ち解けた仲ではなかった。この点は、後の論争でくり返し持ち出されることになる。 当時のヴェルサイユは、いまのように整備された観光地ではなかった。宮殿の本館こそ見学できたが、庭の奥は手入れの行き届かない一角が多く、案内表示も乏しい。夏の午後、地図を頼りに歩く英国人の旅行者は珍しくなかった。2人もそのひとりである。ここまでは、どこにでもある旅の一日だった。 目的地は庭の奥にある離宮、プチ・トリアノン。マリー・アントワネットが宮廷の窮屈さから逃れるために使った小さな館である。ところが手元のガイドブックの地図はあいまいで、2人は大トリアノンを過ぎたあたりで道を取り違えた。 そのあたりから、空気が変わったという。 重苦しい。夢の中を歩いているようだ。後に2人はそれぞれ、そう書いている。風は吹いているはずなのに、木々の葉が動かない。景色全体が、壁に掛けられたタペストリーの絵のように平たく、生気を失って見えた。 すれ違う人の姿も、どこかおかしかった。 寂れた農家のような建物のそばに、鋤が打ち捨てられていた。緑がかった長い上着に小さな三角帽をかぶった2人の男が、そこに立っている。庭師にしては服装が仰々しく、しかし観光客でもない。道を尋ねると、抑揚のない声でまっすぐ行けとだけ答えた。 ジュールダンはこのとき、家の窓から白い布を振っている女を見た。モーバリーはその女を見ていない。 少し進むと、木立の陰に小さな東屋があり、ひとりの男が座っていた。浅黒く、あばたの残る顔。だぶついた外套を羽織り、身じろぎもせずこちらを見ている。ジュールダンはこの男を見た瞬間、理由の説明できない嫌悪と恐怖に襲われたと記している。息が詰まり、その場から動きたくなくなったと。 そこへ、どこからともなく息を切らせた男が走り寄ってきた。留め金のついた靴、短い外套、長い巻き毛。そちらではない、こちらだ、と身振りで別の道を指し示す。言われるまま小さな橋を渡り、狭い谷間の道を抜けると、視界が開けて庭のテラスに出た。 芝生の際に、ひとりの婦人が座っていた。画板を広げ、スケッチをしている。夏には暑すぎるような幅の広い帽子と、丈の長い淡い色のドレス。婦人は顔を上げ、2人の方をまっすぐ見た。モーバリーはその顔を、後年まではっきり覚えていると書いている。 ——ジュールダンは、この婦人をまったく見ていない。 やがて建物の入口で、案内人らしき若い男が扉を開けてくれた。中に入ると結婚式帰りの一行と鉢合わせし、館の中は普通の観光客でにぎわっていた。その瞬間、あの重苦しさは消えていた。 その後、2人はお茶を飲み、汽車でパリへ戻った。日記にも特別なことは書かれていない。妙に疲れた、という程度である。 その日、2人はこの体験について一言も話し合わなかった。妙な散歩だった、で終わるはずだった。 ところが3か月後、モーバリーが手紙のついでのように尋ねる。あの日のトリアノンは、幽霊が出そうな感じがしませんでしたか、と。 そこから話が動きだす。2人は互いの記憶が混ざらないよう、別々に体験記を書いた。そして調べ始めた。当時の衣装、庭の古い地形、革命前の見取り図。 緑の上着の男たちの服装は、革命前に庭を管理していた衛兵の制服に似ていた。あばた面の男は、王妃を裏切ったとされる人物の風貌に重なった。スケッチをしていた婦人の帽子とドレスは、マリー・アントワネットの肖像画のそれと合致した。 そして決定的だと2人が考えたのが、あの小さな橋である。1904年、彼女たちは同じ道をたどり直した。橋は無かった。谷も無い。東屋も無い。農家も無い。地形そのものが記憶と食い違っていた。ところが18世紀の古い図面には、それらしい橋が描かれていたという。 調査を進めるうち、2人はひとつの日付にたどりついた。1789年10月5日。マリー・アントワネットがプチ・トリアノンの庭にいたところへ、パリから群衆が押し寄せてくるという知らせが届いた日である。王妃がこの庭で過ごした、最後の穏やかな午後。2人は、その日に迷い込んだのだと考えた。庭にいた人々の姿は、その午後の記憶の残像なのだ、と。 10年の調査を経て、2人はエリザベス・モリソンとフランシス・ラモントという偽名で、1911年に体験記『An Adventure』を出版する。私たちはあの日、1789年の夏に迷い込んだのだ、と。革命が始まる直前の、王妃が最後の平穏な季節を過ごしたその庭の記憶に、まぎれこんだのだ、と。 出版時、2人は身分を伏せていたが、正体はほどなく知れ渡った。大学の学寮長が幽霊話の本を出したというので、学内には冷ややかな空気も流れたという。それでも2人は撤回しなかった。版を重ねるたびに補遺を加え、批判に反論し、資料を足していった。 本は版を重ね、心霊研究協会を巻き込む大論争になった。学者たちは調査に乗り出し、新聞は書評を戦わせた。真偽の決着はつかないまま、この一冊は「時間旅行の体験談」という語り口そのものを、この世に定着させることになる。

出どころ1901年・フランス、ヴェルサイユ。1911年に『An Adventure』として出版された「モーバリー=ジュールダン事件」。
考察この事件には、かなり説得力のある反論が積み重なっている。 もっとも有名なのが仮装パーティー説である。1965年、フランスの美術史家フィリップ・ジュリアンが指摘した。当時ヴェルサイユ周辺では、詩人ロベール・ド・モンテスキューが友人たちを集め、18世紀風の衣装で活人画を演じる催しを開いていた。その稽古に行き合わせたのだとすれば、時代錯誤の服装も、抑揚のない受け答えも、あの現実感のない空気も説明がつく。芝居の準備中の人々は、部外者に対してだいたい無愛想である。 次に、記述が育っていったという指摘がある。後の研究者が草稿と刊行版を突き合わせたところ、初期のメモには無かった細部が、版を重ねるにつれて増えていることが分かった。人物の表情、服の色、庭の造作。10年も調べ続ければ、資料で見た図版が記憶に混じり込んでも不思議はない。2人は嘘をついたのではなく、誠実に調査するほど記憶を上書きしていったのかもしれない。 心霊研究協会の重鎮エレノア・シジウィックは早くから批判的で、道に迷った不安と、当時の宮殿周辺の雑多な人影が結びついただけだろうと述べている。1957年にはルシル・アイアモンガーが、2人の関係性そのものに踏み込んだ本を書いた。強い結びつきを持つ2人の間で、一方の思い込みがもう一方に移っていく現象は、精神医学でも知られている。 決定的なのは、食い違いの中身だ。窓の白い布を振る女はジュールダンだけが見た。スケッチをする婦人はモーバリーだけが見た。もし2人が同時に同じ過去へ迷い込んだのなら、これは説明しにくい。逆に、それぞれが別々に感じた不安を後から突き合わせ、ひとつの物語に編み上げたのだとすれば、きわめて自然な食い違いになる。 興味深い後日談もある。本の著作権を引き継いだ歴史家ジョーン・エヴァンズは、ジュリアンの説を読んで納得し、以後の版の刊行を止めた。身内が幕を引いた、珍しい例である。 それでもこの話が消えないのは、語り手の顔がはっきりしているからだろう。匿名の書き込みではない。名の知れた学寮長と副学寮長が、社会的信用を賭けて語り、生涯にわたって撤回しなかった。失うものが大きい人ほど、その主張は重く響く。 120年たった今も、プチ・トリアノンの庭を歩く観光客の何人かは、あの2人がどこで道を間違えたのかを探している。
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