公開 2026年8月17日/更新 2026年8月18日
口裂け女
「私、きれい?」— 夕暮れの通学路に現れる、マスクの女。
1978年12月初め、岐阜県。 最初の噂は、ずいぶん素朴なものだったらしい。ある農家の老婆が、母屋から離れた便所へ立ったところ、そこで恐ろしいものを見て腰を抜かした——。それが週刊誌に紹介された、この話のいちばん古い形である。 そこから、たった半年で日本中の子どもが震え上がることになる。 新聞に初めて載ったのは1979年1月26日。地元紙が報じたのが最初とされる。そして春から夏にかけて、噂は塾の行き帰りと学校の休み時間を伝わって、北海道から九州まで駆け抜けた。 1979年という年を思い出しておくと、この現象の位置がよく見える。日本で初めて東京サミットが開かれ、喫茶店にインベーダーゲームの筐体が並び、ソニーがウォークマンを発売した年である。「ナウい」「ダサい」という言葉が生まれ、子どもたちは塾に通い、夕方まで外にいた。テレビは各家庭に一台。携帯電話も、インターネットも無い。 つまり噂は、子どもの口から子どもの耳へ、実際に会って伝えるしかなかった。それでも半年で全国に届いたのである。 語られる内容は、地域が違ってもほとんど同じだった。 夕暮れの通学路。口元をすっぽり覆う大きなマスクをした若い女が近づいてきて、こう尋ねる。 私、きれい——? きれい、と答える。すると女はゆっくりマスクを外す。その口は、耳のあたりまで裂けている。 ……これでも? 逃げても無駄だという。女は100メートルを6秒で走る。鎌を持っている。ハサミを持っている。包丁を持っている。持ち物は地域によって違ったが、結末は同じだった。きれいと答えても、きれいじゃないと答えても、助からない。 姿の描写も、地域ごとに少しずつ違った。赤いコートを着ている。長い髪を振り乱している。背が高い。三姉妹で、三人組で現れる。マスクの下は縫い跡がある。どれも本筋には関係ないが、こういう細部があるほど話は本当らしく響く。 共通していたのは、季節外れでもマスクをしている、という一点である。当時、大きなマスクで口元を覆って歩く若い女性は、それだけで少し目を引く存在だった。 この逃げ場のなさが、子どもたちを本気で怯えさせた。 記録に残っている社会の反応は、いま読むと驚くほど大きい。福島県郡山市と神奈川県平塚市ではパトカーが出動した。北海道釧路市と埼玉県新座市では集団下校が実施された。週刊誌が特集を組み、テレビが取り上げた。1979年6月には、姫路市で25歳の女性が口裂け女の格好をして包丁を持ち歩き、銃刀法違反で逮捕されている。噂を真似た人間が、実際に現れたのである。 当時を知る人の記憶には、独特の光景が残っている。集団下校の列。校門に立つ教師。子どもを迎えに来る親。塾へ行くのが怖いと泣く子。学校で先生が「そんなものはいません」と説明したが、説明されればされるほど本当らしくなった。 存在しないものに対して、社会が現実の対応を取ってしまった。その対応そのものが、次の子どもにとっては証拠になった。 一方で、恐怖と同じ速さで「攻略法」も広まっていった。 ポマード、と3回唱えると怯む。べっこう飴を渡すと、舐めている間に逃げられる。「私、きれい?」に対して「普通」と答えると、女は困って考え込む。あなたはきれい?と聞き返せばいい。田中さんの友達だと言えば見逃してくれる——。 正体についての語りも尽きなかった。整形手術の失敗。生まれつき口の裂けた姉を持つ女性。事故で顔を損なった人。どれも根拠はない。だが子どもたちは、必ず「なぜそうなったのか」を説明したがった。 この「理由づけ」の部分は、いま読むとかなり無神経なものが多い。顔や身体の特徴を怪異の原因として語る型は、当時の子どもの遊びの中では当たり前に流通していたが、現代の目で見れば差別的な発想を含んでいる。噂の面白さを味わうときには、そこも含めて眺めておきたい。 終わりは、あっけなかった。 1979年8月。夏休みに入り、子どもたちが毎日顔を合わせなくなると、噂はぱたりと止まった。学校という回路が閉じた途端、あれほどの熱が消えたのである。 それでも、この女は死ななかった。2000年代にはネットを通じて韓国や台湾、英語圏へ渡り、それぞれの土地で少しずつ姿を変えた。日本では映画になり、漫画に登場し、いまも新しい読者を得ている。 大きなマスクで口元を隠した人物が、日常のどこにでもいる時代になってからは、また別の読まれ方もされるようになった。
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