公開 2026年8月17日/更新 2026年8月18日
ツチノコ
ビール瓶のような胴体で跳ねる蛇。捕獲賞金は最大1億円?
日本のUMA界で、これほど愛されている存在も珍しい。 ツチノコ。胴の中央がビール瓶のように太く膨らんだ、蛇に似た生き物である。 その歴史は驚くほど古い。 『古事記』や『日本書紀』には「野椎(ノヅチ)」という名が出てくる。もともとは野を司る神だった。それが仏教の伝来とともに、祟りをなすものへと姿を変えていく。 1712年、寺島良安が編んだ百科事典『和漢三才図会』には、「野槌蛇(のづちへび)」として絵入りで載っている。深い山奥に棲み、口が大きく、人の脚を噛む。坂を下るのは速いが、登るのはきわめて遅い——。 1886年、井出道貞の『信濃奇勝録』にも記述がある。八月ごろにたまに出る。坂道は転がって進む。人に害はなさない。そして律儀に、『和漢三才図会』の説明とは違う、と書き添えている。 江戸の百科事典と明治の地誌が、同じ生き物について食い違っている。この時点ですでに、ツチノコは一つの姿に定まっていなかった。 呼び名も土地ごとにばらばらだった。ノヅチ、バチヘビ、ツチンコ、コロ、タワラヘビ、ゴハッスン。四十を超える方言名が各地から記録されている。 名前がこれだけあるということは、それだけ多くの土地で語られてきたということでもある。中央から広まった話ではなく、あちこちで独立に、同じような何かが目撃されていた。 近代のブームには、きっかけがある。 1959年8月24日。作家の山本素石が、京都の鴨川上流、雲ヶ畑の奥地でそれを見た。以後、彼はツチノコ捕獲に情熱を燃やし、同好の士を集めて探索を続けることになる。 1972年、作家の田辺聖子が、この山本素石をモデルにした人物の登場する小説を朝日新聞の夕刊に連載した。翌1973年にはNHKでドラマ化される。ここで「ツチノコ」という名が、一気に全国区になった。 同じ1973年、『釣りキチ三平』の矢口高雄が、自身の遭遇体験をもとにした漫画を発表する。これが決定打だった。 空前の捕獲ブームが到来する。百貨店が懸賞金を出し、雑誌が特集を組み、日本中の山に捜索隊が入った。 目撃談に描かれるツチノコは、なんとも憎めない。 2メートルも跳躍する。転がって坂を下る。いびきをかいて眠る。日本酒と味噌の匂いが好き。「チー」と鳴く——。 恐ろしくない。むしろ、ちょっと間が抜けている。 そして、この生き物には目的がない。祟らない。呪わない。連れ去らない。予言もしない。 ただ、山にいる。跳ねて、転がって、寝ている。 日本の怪異としては、かなり異例である。妖怪の多くは人に何かをするために存在するのに、ツチノコは何もしない。だから怖がらずに済み、その分だけ好かれた。 賞金の話も、だんだん景気が良くなっていった。 1989年、岐阜県東白川村、奈良県下北山村、広島県上下町が相次いで捕獲賞金つきの探検イベントを開催した。101万円、300万円。翌年には兵庫県の町が、賞品として別荘地100坪と建築用木材を用意した。和歌山県の町は賞金100万円に副賞としてイノブタ1頭を添えた。そして兵庫県のある町は、2億円という額を打ち出している。 2000年には岡山県の町でツチノコ発見と騒がれたが、正体はヤマカガシの死骸だった。 2001年には兵庫県で「ツチノコに似た動物」が捕獲され、町が報道陣に公開する騒ぎもあった。この手の報道は数年おきに繰り返され、そのたびに全国から人が集まり、そして落胆して帰っていく。 落胆して帰る、というところまで含めて、この行事の一部なのかもしれない。 昭和のはじめから目撃が相次いでいた岐阜県東白川村では、1989年の大捜索をきっかけに、毎年ゴールデンウィークに「つちのこフェスタ」が開かれるようになった。いまでは村の人口を超える二千人以上が集まる。 ツチノコは、見つからないことで地域を支え続けている。 考えてみると、この生き物は不思議な役目を担ってきた。 過疎の進む山村に、年に一度だけ人が来る。子どもが草をかき分けて歩き、大人が笑いながら見守る。捕まらないと分かっているものを、みんなで真剣に探す。 祭りに神輿があるように、この村にはツチノコがある。
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